洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

それは成長ではない。ただの老化だ。

最近人前でいちゃつくカップルが許せるようになった。正確には別に気にならなくなった。しかしこれは成長ではないことは自分でもよくわかっている。感性が歪んできているのだ。いつまでも多感な10代ではいられなくなってしまった。クリスマスに一人でデートスポットで飯も食えるようになってしまった。これには自分でも驚いた。

以前の僕は多感というか、常に様々なことを病的に気にしていたように思う。他人の目にどう映るかばかり気にしていた。誰も自分のことなど見ていないのに世界中の人間が自分の一挙手一投足に注目しているのかと思うくらいに気にしていた。それが最近全く気にならなくなったのだ。

思うに以前の僕は自分に期待しすぎていたんだと思う。鏡も良く見ていたし。自分のことをかっこいいと思っていたし。将来的には何かの分野で成功して有名になると信じて疑わなった。自分に対して鉄鉱石のような絶対の自信を持っていたように思う。

それが年を取るにつれて、ああそんなことないなと。俺って別になんの才能のないなと。特にイケメンでもないし。路傍の石じゃねえかと。気が付いてしまったのだ。年を取るにつれて周囲の評価と自分の評価の乖離が無くなってきたというか。

自分のことを完全に客観視できるようになったのかもしれない。これは幸福なことだと思う。自己評価と客観的評価の溝が深いとロクな人間にならないと思う。男でも女でも特にイケメンでも美女でもないのに良い男、良い女ぶる人がいる。あれほど痛いことはない。周囲の人間はやれやれと思っているはずだ。心のなかでは呆れているはずだ。

まあ、ここまで書きなぐっていてあれだけど、バイト先に可愛らしい女の子が新しく入ってきた。その子とかなり高確率で目が合うんだけど、もしかして俺のこと好きなのかな。俺へのアッピールなのかなあれって。

どうやらまだまだ俺って多感らしい。はははは。いやただの女好きっていうか助平なだけか。発情期なだけかも。年がら年発情期。人間だもの。

 

あの頃の僕は。。。。。

大学進学を期に上京した当初は野心バリバリだった。この四年間を誰よりも有意義なものにしてやる!と息巻いていた。当初の計画では学生団体とか立ち上げたり、起業したり、デカいクラブイベント打ったりとかして八面六臂の大活躍の末に読モの彼女を何人もはべらかす生活を想像していた。その頃の僕は手の付けられない程の阿保だったのだ。

 

現実の僕は大学が始まって一週間で絵に書いて掲げたような自堕落な放蕩三昧生活を送っていた。酒、女、博打の負のトリプルコンボ。というのは冗談で、毎日毎日池袋のジュンク堂書店自己啓発本を読んでいた。飽きもせずに毎日授業をサボり一日中自己啓発本を読んでいたのだ。結局思いのほか詰まらなった大学生活を打破するための答えを自己啓発本に求めていた。まあこれもある種の自堕落生活だと思う。学生の本分である勉強という義務を放棄して読書ばっかりしてたのだから。

 

自己啓発本の作者は紆余曲折を経てなんやかんやいろいろあって結局は大金持ちに有名になる。どの本もそれの繰り返し。自己啓発本をいくら読んでも、読んだ後と何も変わらない僕。何も進展していないのは僕だけだった。失敗も成功もない。なぜなら何もしていないから。本ばかり読んでいるのだから。

 

朝が来て夜が来て読書して食らい眠りこける。それが再現なく続く。楽しそうな周り。それに反比例するように吐き気がするほど退屈だった僕。今、思えば現状を打破するのは簡単だった。答えを自己啓発本に求めるのはやめれば良かったのだ。本に答えを求めずになんでも良いから行動を起こせばよ良かった。それが理解できたのはもっと一年くらい後だった。

 

難しく考えすぎだった。行動を起こすのにいちいち理由なんかいらなかった。失敗を恐れすぎていた。周りをもっと見渡すべきだった。僕くらいの年齢の若者は至るところにガツンガツン頭をぶつけながら傷だらけになりながら学んでいくべきだった。これをもし読んでいる新入生がいたら恐れずに様々なことにチャレンジして欲しい。成功の失敗も対して意味はないと思う。

 

人生は長い。その時の成功も失敗もただの途中経過でしかないから。君たちはまだ若い。犯罪以外なら何をやっても許されのだから精一杯頑張って欲しい。老婆心ながらアドバイスさせてもらった。なんでも良い。なんでも良いしどんなに惨めでかっこ悪くても良いから精一杯【走って】欲しい。僕のお願いはそれだけです。

 

 

 

 

マーキングについての僕なりの考察

小さい頃によく母親の髪を噛んでいた。ガシガシガシガシ力強く噛んでいた。母親が僕の涎まみれの髪をタオルで拭きながらブチ切れていたのを昨日のことにように思い出す。なぜかは自分でも分からない。なぜだか母親の髪を見ていると無性に噛みたくなるのだ。かつて彼女の髪も噛んだことがある。噛んだ時の彼女が汚物を見るような凍てつく視線で「次やったらマジで別れるよ?」と言い放ったセリフが今でも脳裏にこびりついている。やはり世間では僕の髪を噛みたいという欲望は受け入れられないのだろうか。変態にカテゴライズされてしまうのだろうか。最近、僕のこの欲求はある種のマーキングなのではないかと思っている。猫が飼い主やお気に入りの場所に頭や体をこすり付けるのと同じなのではないかと思っている。そう考えたら我ながら自分のこの欲求が可愛らしく思えてきた。なんて言ったってあの愛玩動物と同じことをしているのだ。ちなみに僕は鉄のように固くなったイチモツを女性にこすり付けたいという欲求もあるがこれもマーキングの一環なのだろう。決して嫌らしい気持ちは全くない。そのあたりは勘違いしないで頂きたい。

国民的英雄について(ホラーチックです)

僕はずっと平凡だった。勉強だってスポーツだってルックスだって、全部が全部平凡だった。世間に出る才能なんてものはこれっぽちもも持ち合わせていなかった。でも英雄になりたかった。何かで英雄になりたかったんだ。だから人を殺すことにしたんだ。

 

 

                  *

 

 

高校生の頃に親友がいた。その親友はハンサムで、足が長くて、清潔でおそろしくスマートな男だった。僕たちは不思議と馬が合いいつもいっしょにいた。学校中の女が親友に憧れていた。失神しそうな勢いで憧れていた。親友が女に話しかけると今にも全身がとろけだしそうな目でうっとりと見ていた。当然、僕の存在は黙殺された。全くのいないものとして扱われた。成績だって良かった。いつも学年でトップだった。親切で誠実で思い上がったところが一つもなかった。大便をしてる姿でさえエレガントだった。一度も大便をしている姿を個室便所の仕切りの上に乗っかって覗いたのだ。その姿はまるでギリシャ彫刻が大便をしているようだった。もはやただの排泄行為ではなくアートの域だった。彼の存在がますます僕の英雄への憧れを駆り立てた。

 

 

 

                  *

 

 

 

 

僕は表参道にいた。懐には刃渡り30センチはあるナイフが忍ばせてある。今から僕はこの表参道でできる限りの人間を刺し殺す。そして僕は英雄になる。準備だって、二年間もかけた。柔道部に入り死に物狂いで心身を鍛えぬいた。努力の甲斐があってか僕の体は今までと見違えるような逞しいものになっていた。勉強だってがんばった。学年でトップとまではいかなかったけれどトップテンには入ることができた。

 

 

 

 

スポーツと勉強を頑張ると不思議と可愛い彼女だってできた。彼女と過ごす放課後はとても楽しかった。全てが上手くいっていた。そんな順風満帆な人生を送る男が大量殺人を起こせば大々的にメディアで報じられるはずだ。それが僕の狙いだった。僕は手始めに表参道駅から上がってくるモデル風の女を刺し殺すころにした。懐のナイフを握りしめる。歩を進めようとした瞬間に背中の僧帽筋あたりにひどく冷たいものを感じた。次におそろしいほどの痛みが襲ってきた。

 

 

 

 

どうやら僕は刺されたらしい。何度も何度も背中に力強くナイフを突き立てられた。10回以上は刺されたと思う。刺してきた奴は満足したのか、「これで俺は英雄だーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」と狂ったように叫んでいた。ようやく合点がいった。僕と同じような考えを持った奴がいたということだ。どうやら先を越されたらしい。足元にはおびただしい量の血だまりができている。これじゃ多分助からない。

 

 

 

 

でも平凡中庸な僕としてはまあま面白い死に方だと思う。僕を刺した男は次々に笑いながら人を刺していく。狂った男による大量殺人の可愛そうな被害者の一人。まだ若く、成績も良く、部活だって頑張り、彼女だっていた前途洋々な若者がキチガイによって刺し殺される。うん。僕としては悪くないな。あとの顛末はあの男にでも聞いて欲しい。人々の叫び声をBGMに僕の意識は途切れていった。

 

 

 

 

 

夢夢夢夢夢、ゆ、め、

あれは確か中学生の頃だった。僕の家の正面から見て左手には六畳ほどの空き地が広がっており、2メートルほどの木々が生い茂っていた。その木々たちが僕の家のスペースまで侵食していたので業者を呼ぶことになった。

 

木々を刈り取りに来た業者は40代後半くらいのナイスミドルというか良い感じの枯れ感を醸し出しているおじさんだった。おじさんは電動のこぎりのようなものでブオンブオンと音を響かせながら木々をなぎ倒していく。

 

僕は自分の家の窓からそれを眺めていた。おじさんの手が止まった。どうやら休憩に入るようだ。僕は家を飛び出し、おじさんに駆け寄った。「おじさん!木を切るのってかっこいいね!」と感想を伝えると、おじさんは嬉しそうに顔を崩し「そんなことを言われたのはぼうずが初めてだ」と言った。

 

「おじさんはなんで木を切ることにしたの?」と僕は尋ねた。「おじさんは元は東京にいてなあ。いろいろあって青森に来たんだ。そんで体一つでできることって言ったら限られてるから木を切ることにしたのさあ。それでも俺はこの仕事が好きだし誇りを持ってるんだ」と言った。

 

「いろいろってどうゆうこと?」「痴漢しちまったんだ。俺は木の実ナナが大好きでなあ。電車の中で木の実ナナ似の50代のおばさんを見たらムラムラしてついな。」おじさんはどうやら東京で痴漢をして捕まり、家族にも愛想をつかされ流されるままにこの地、青森に行き着いたらしい。それでも僕にはおじさんが痴漢をするような人間には見えなかった。

 

木の実ナナみてえな熟女が大好きでなあ。あぶない刑事でも柴田恭兵舘ひろしも興味なくて木の実ナナばっか見てたなあ」おじさんはどうやら本当に木の実ナナが好きらしい。

 

「男って我慢できない生き物でなあ。一度ムラムラすっと止まらんねえのよ。」とおじさんは言った。「そんなに止まらないものなの?」と僕は聞いた。「ムラムラしたら一度すっきりしねえと梃子でも収まらねえのよ。電車の中でも木の実ナナ似の50代の女を見つけたらもうムラムラが止まらなくてよ。ズボン脱いで夢中でチンコしごいたんだあ」とおじさんは感慨深げに言った。

 

「おじさんって救いようがないくらい変態なんだね」と僕が言うと、おじさんは苦笑いして肩をすぼました。「でもおじさん、ほら見て」そう言って僕は身に着けている服を全部脱ぎ捨てた。

 

「お、おめえ。その下着は」「そうだよ。僕は女物のパンツとブラジャーを付けながら日々を生活している。別に女装癖とかじゃないよ。ただ身に着けてると妙にテンションが上がるんだ」

 

それを聞くとおじさんは何かを考えるように黙り込んだ。「みんな何かしら変なところを持ってるということさ」僕は結論付けるように言った。「そのブラジャー。俺にくれねえか?」とおじさんは絞り出すように言った。「喜んで」空はいつになく青く澄み渡っていてまるで青い折り紙のようだった。

僕は今、春

こう見えて僕は両利きだ。左右どちらでもお茶碗を持てるし、字も書ける。元々の利き手は右手だ。何も突発的に両利きになったわけではない。話は遡るが、中学の頃の体育の柔道で誤まった受け身をして右手を複雑骨折して三か月間使えなかった。

 

それで否が応でも左手で生活の全てを賄うしかなく、加速度的に左手の可能領域が増えたということだ。ノートなども左手でとるしかなく気が付けば右手よりも字が上手くなっていた。

 

ここでは友達にノートをとってもらえば?というハートウォーミングな意見は受け付けない。僕にそんな親切をしてくれる友達何て誰一人としていなかったからだ。もちろん中学生という性欲が盛りのついた犬の如く盛んだった時期だからマスターベーションは欠かすことはできない。

 

右手は使えなかったので左手でピストン運動をした。馴れない左手のピストンは思うのほか気持ちよかった。慣れ親しんだ右手がベテラン風俗嬢なら、左手は入店したばかりの新人嬢と言ったところ。

 

世紀の大発見だと当時の僕は喜んだ。まあ悲しいかな、結局毎日左手でピストンしてたらこなれてきて右手よりもスムーズにできるようなった。馴れというのは恐ろしい。あの頃の僕にドストエフスキーの名言を送りたい。『人間はどんなことにもすぐ馴れる動物である』

 

 

 

 

 

サイレントマジョリカマジョルカ

サイレントマジョリティー。少数派意見。このような言葉を耳にするだけで胸糞悪くなる。普通とは何なのか。誰にとっての普通なのか。安っぽいJポップの歌詞に声高に個性を主張しているけれど、現実世界ではそうもいかない。

 

周囲と足並みを揃えないと白い目で見られる。僕は嫌だった。そんな世界が。僕は嫌だった。周囲に溶け込めない自分自身が。狂おしいほど嫌だった。

 

                 ☟☟

 

大学一年生の夏、初めての彼女ができた。あれは立っているだけでも滝のように汗が噴き出る夏だった。その頃の僕は平たく言って性欲の権化だった。寝ても覚めても卑猥なことしか考えていなかった。性欲に付き動かされて彼女を作ったようなものだった。今となってはあの頃の自分を殴りたい。

 

ひどい話だが、僕はさっそくできた彼女に溜まりに溜まった自分の性欲をぶつけようとした。付き合った初日にホテルに行ってセックスをしようと提案していた。彼女のしぶしぶ受託。念願叶ってホテルの一室に入り、お互いすっぽんぽんになった。

 

僕は何よりもしたいことが一つあった。どうしてもやってみたいことがことがあった。興奮を抑えきれずさっそく彼女にリクエストしていた。「君のおしっこが飲みたい☆」彼女はそれを聞くと顔を青ざめ急いで服を着て部屋を出て行った。彼女が去り際に言い放った「てめえ、ガチきめんだよ!」という言葉が僕の胸を切り裂いた。

 

                 ↯↯

 

僕は五反田の繁華街をあてどなくさ迷っていた。なぜ自分がここにいるのか全くもってわからなかった。気が付いたらここにいたのだ。客引きの若い男が「おにいさん!おっぱいどう!?」とテンション高めで聞いてくる。「悪いけれど気分じゃないんだ」と言って断ると、「おにいさん、МっぽいからSMクラブいっていじめてもらいなよ!」と言ってきた。

 

聞くところによると女王様と呼ばれる存在にいろいろいじめられるらしい。さらにいじめる方もできるらしい。僕は行ってみることにした。彼女対する罪滅ぼしというか、いじめられることで少しでも自分自身の気持ちを軽くしたかった。その時僕はひどく内罰的だったのだ。

 

受付でプレイを選択するとそこには『放尿プレイ』という文字があった。どうやら女王様という存在に顔面におしっこをかけられるらしい。僕はようやく自分が行き着く場所を見つけたのだ。

 

これからはもう誰にも遠慮しなくて良いんだと僕は思った。ここでは自分を偽る必要がなくありのままの自分をさらけ出すことができる。これでいつでもおしっこを飲むことができる。誰にも邪魔はさせない。決して誰にも。。。。。。

 

 

 

追記

おしっこ飲みたい欲はありません。巨乳好きではあります。