洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

それは成長ではない。ただの老化だ。

最近人前でいちゃつくカップルが許せるようになった。正確には別に気にならなくなった。しかしこれは成長ではないことは自分でもよくわかっている。感性が歪んできているのだ。いつまでも多感な10代ではいられなくなってしまった。クリスマスに一人でデートスポットで飯も食えるようになってしまった。これには自分でも驚いた。

以前の僕は多感というか、常に様々なことを病的に気にしていたように思う。他人の目にどう映るかばかり気にしていた。誰も自分のことなど見ていないのに世界中の人間が自分の一挙手一投足に注目しているのかと思うくらいに気にしていた。それが最近全く気にならなくなったのだ。

思うに以前の僕は自分に期待しすぎていたんだと思う。鏡も良く見ていたし。自分のことをかっこいいと思っていたし。将来的には何かの分野で成功して有名になると信じて疑わなった。自分に対して鉄鉱石のような絶対の自信を持っていたように思う。

それが年を取るにつれて、ああそんなことないなと。俺って別になんの才能のないなと。特にイケメンでもないし。路傍の石じゃねえかと。気が付いてしまったのだ。年を取るにつれて周囲の評価と自分の評価の乖離が無くなってきたというか。

自分のことを完全に客観視できるようになったのかもしれない。これは幸福なことだと思う。自己評価と客観的評価の溝が深いとロクな人間にならないと思う。男でも女でも特にイケメンでも美女でもないのに良い男、良い女ぶる人がいる。あれほど痛いことはない。周囲の人間はやれやれと思っているはずだ。心のなかでは呆れているはずだ。

まあ、ここまで書きなぐっていてあれだけど、バイト先に可愛らしい女の子が新しく入ってきた。その子とかなり高確率で目が合うんだけど、もしかして俺のこと好きなのかな。俺へのアッピールなのかなあれって。

どうやらまだまだ俺って多感らしい。はははは。いやただの女好きっていうか助平なだけか。発情期なだけかも。年がら年発情期。人間だもの。