洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

邂逅

僕と恋人のユウコの境界線は曖昧だ。僕とユウコの境界線は限りなく無いに等しい。僕がユウコでありユウコが僕。初めてこれに気が付いた時は一週間前の日曜日だった。僕が道端で痰を吐いたことに対して見知らぬ老婆が注意してきたのだ。僕は無視を決め込もうと思ったのだがユウコは僕が吐いた痰をハンカチで拭きとった。その瞬間に僕は僕とユウコの境界線が薄くなるのを感じた。

セックスをするとよくわかる。僕のペニスがユウコのヴァギナに出入りする時に快楽よりも元の鞘に戻っているという感覚のほうが強い。自分の尻尾を噛む蛇のように始まりも終わりもない完全なものとして完結しようとしている気がする。

僕とユウコは恋人関係であると同時に一つの身体的精神的共同体であるのだ。しかし僕はユウコと別れようと思っている。今の僕とユウコはあまりにジャストフィットしすぎている。一寸の余分なスペースがない。

完全なほうが良いに決まっているのではないかと思うかもしれないがそれは間違いだ。完璧であってはいけないんだ。不完全なもののほうが美しい。それは成長性があるからだ。ディズニーランドの倒し方を芸人兼絵本作家の西野あきひろさんが言っていた。それは一から自分たちの手でディズニーランドを作ることだという。

つまり零を壱にする喜びというわけだ。僕とユウコにはそれがなかった。初めから完全つまり百点満点だった。僕は壱からお互いの関係を試行錯誤しながら切結びたい。だからユウコと別れようと思う。

 

 

 

 

っていう言い訳をしたら穏便に別れることできますかね?ホントの原因は僕の浮気なんですけど(笑)