洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

綿矢りさ蹴りたい背中読んで思い出したけど小中高のクラスって本当に閉鎖的な空間だった。窮屈で窮屈でしょうがなかった。標高何千メートルの山の上みたいに息もするのもしんどかった。クラスメイトの顔色とかクラス内の自分の立ち位置とか、本当にしょうもないことばかり気にしていた。もう一度やり直せって言われたらもしかすると退学とかするかもしれいない。当時はなんでしなかったんだろうと考えたら部活のおかげだった。サッカーしか縋るものがなかったけど逆に言えばそのおかげで無事卒業することができた。部活以外の空いてる時間は一人でボール蹴ってれば自主練になるわけだし。

でもそういうものがない、学校に友達がいない人とかどうするんだろう。どうやって日々を凌ぐんだろう。もし俺にサッカーがなかったら友達はいない修学旅行とか、お昼休憩とか、その他諸々の学校行事をどうやって耐えるんだろう。あの頃は、というか今もだけど無神経に騒げる人たちのことを心の底から羨ましかった。

友達がいない人とかクラスに馴染めない人は結局人一倍繊細なんだよね。いろいろなことに敏感になってるんだよね。たえず傷ついてるんだよね。誰かが冗談のつもりで言った一言でその日一日ずっともやもやとした気持ちでいることになるんだよ。あと、喋るときもこれを言ったら相手はどう受け取るだろうとか考えちゃうからますます話せなくなるんだよ。

 

 

 

 

 

 

という感じのガラス細工のような繊細なハートの持ち主ですって言っておけば母性本能をくすぐられた女たちが寄ってくる気がする。。。。!!

 

 

実際の俺は小学三年の時にはすでにおもしろフラッシュ倉庫でずりネタを探してオナニーに励んでいた。

 

ブックマートふたりエッチを買い漁り、家に置いておくと親バレする可能性が大いにあるので近所の自動販売機の下に隠しておくというトリッキーな保管方法を編み出していた。ちなみに近所の悪がきに全部パクられた。

 

一言でいえば救いようのないアホだったのだ。けれどそれでいいのだと思う。アホのほうが人生は楽しい。アホなことを好き勝手やりたい。精一杯アホでいたい。しかし、アホでいるのにも楽じゃない。

 

アホでいるのにもパワーがいるのだ。アホでいるのは戦いだ。気を抜けばすぐ真面目くさった奴らがあーだこーだ説教を始めてくる。奴らは自分がアホになって好き放題できないからひがんでいるのだ。

 

俺は一生を奴らと戦おうと思う。俺の戦いはこれからも続く。