洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

飲み

今日は久しぶりに仲間と居酒屋で飲んでからカラオケに行った。仲間がケツメイシの「さくら」を歌っていたのだが本家のPVが使われていて、それに出ていた男にかいがいしく寄り添う鈴木えみを見ていたら何故か涙が出てきた。その瞬間僕の中にあるともかく大勢の人間になんでも良いから認められたいという特大の承認欲求がガラガラと音を立てて崩れ去った。

これまでの僕の行動指針は如何に不特定多数の人間に認められるかどうかの一点に完全に集中していた。そのために自分比で他人よりはまだ才能のマテリアルがある文章をコシコシと飽きもせず毎日毎日書いていた(あくまでも自分比であって他人からしたら僕の文章なんて素人以下、これっぽっちの才能もねえよ馬鹿と思う方がいても何ら不思議でない)わけだが、さくらに出てくる恋人にかいがいしく寄り添う鈴木えみを見て僕は不特定多数の有象無象に認められたいのではなくたった一人で良いから自分のことを理解してくれてどんな時でも支えてくれる存在が欲しいだけなのでないか、そういった存在が身近にいることが至上の幸福でありそれ以外は何もいらないのではないかと思ってしまった。

しかし仲間と別れ家に着くとやはり飽きもせずブログを書き、小説シナリオ崩れのようなものを睡眠時間を削ってでも書いている僕は大勢の人間に認められたいのだという特大の承認欲求が自分の中に健在なく顕在していることを痛感した。僕はまだまだ落ち着けそうにない。