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洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

あんあん

表現について語ろうと思う。ブログ書いてるくらいで何言ってんの?あんたばかあ?と言われそうだけど自分のことを表現者の端くれだと勝手に思っている。僕には表現者としての資質があると思う。なぜなら僕はブログを通してでしか承認欲求を満たすことができないからだ。

命の危険性が限りなくないに等しい今の日本ではいかにして承認欲求を満たすことができるかが重要になってくると思う。家族、仲間、恋人などに恵まれている人は表現なんかする意味はないだろう。表現などしなくても家族、仲間、恋人が承認欲求を満たしてくれるからだ。

しかし僕のようにそれらに恵まれていない者は表現活動に打ち込むしかない。表現活動に打ち込む、作り上げた作品によって有象無象の者に認めてもらうしかないのだ。(ここではブログも作品だということにする。させてください。)僕の好きな作家の言葉にこんなものがある。「米を一俵脱穀したとする。すると必ず十粒くらいそのまま出てきてしまう。表現というものはその十粒を救うためにある」

この作家の言わんとすることがわかるだろうか。脱穀されずに出てきてしまった十粒、つまり出来損ない・はじかれ者ということだ。そしてそんな者たちの救済手段として表現が存在するということを意味している。

陰日向に咲く者たちのために表現は存在するのだ。と今日はなんか真面目なことを書いてしまったわけだが、なぜいきなりこんなことを書き出したかというと自分のブログを読み返してみると下ネタのオンパレードに我ながら情けなくなってしまったからだ。

本当に情けない。しょうもない。かっこ悪い。もっと知的なユーモア溢れるブログにするつもりだったのに。まあそういうわけで今日は真面目な記事になってしまいました。