洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

真夜中の最中

僕には趣味らしい趣味は何一つない。自分でもつまらない人間だなとは思う。熱中できる趣味がある人間は幸福だと常に思う。趣味が人生を豊かにし、幸せにするのは火を見るよりも明らかだ。そういうわけでこのままではいかんと思い、最近趣味として始めたことがある。深夜の散歩だ。これはとても気持ちが良い。

 

草木も眠る深夜に一時間程街を散歩する。昼間とは打って変わりすっかり閑散とした街は、まるで生きている者が自分だけだと錯覚しそうになる。仮にそうなったとしても特に困ることがないことにも気づく。現に今日も誰とも話していないし、明日も話すこともないだろう。いやバイト先で事務的な会話はするか。

 

とにかくこの世界に生きている者が僕だけになったとしても特に困らない。この世界が生きている者で溢れている今だって僕は誰一人として関りを持っていないのだから。このように深夜の散歩をすると多少ネガティブなことも考えたりもする(苦笑)

 

そういえば青森の田舎にいたころも決まって活動的になるのは夜からだった。僕はコウモリのような夜行性の動物なのかもしれない。休日は夜になってからコソコソと実家を出てBOOKOFFやゲオ、書店なども無限ループしていた。おかげで漫画や本などにはとても詳しくなった。話をもとに戻すけど、この前深夜に散歩していたらぐでんぐでんに泥酔した50代前半くらいのおばさんに遭遇した。

 

場所は近所のコンビニの駐車場。これまで幾度も大学生とかサラリーマンとかが酔いつぶれて道端で寝ているのは見たことがあったけれどおばさんは初めて見た。このおばさんには家族がいるのだろうか。同窓会か何かの帰りだろうか。起こしてあげたほうが良いのだろうか等の考えが頭をよぎったが僕は躊躇した。

 

そのおばさんは吐瀉物まみれだったからだ。平たく言えばゲロまみれだった。良い年こいたおばさんが酔いつぶれてゲロまみれ。はっきりいって救いようがないし、ていうか触りたくない。けれど僕の中に確実に芽生えた感情があった。

 

その感情に僕は蓋をしようとした。決してその一線は超えては踏み越えてはならないような気がした。頭の中ではその線を越えてはならないと警鐘がなり響いている。だのに台風で氾濫した河川のようにこのとめどなく溢れてくるこの感情は制御することができない。僕はおばさんのゲロを見てどうしようもないほどもんじゃ焼きが食べたくなったのだ。

 

ゲロを見てもんじゃを食べたくなる。世間から見たら圧倒的サイレントマジョリティなのはわかっている。けれどこの衝動は止めることはできない。そのまま僕はコンビニ入り血眼でもんじゃを探した。当たり前だがコンビニもんじゃは置いてない。コンビニは決して万能ではないのだ。

 

しようがないから僕はお好み焼きを買った。ギリ同じカテゴリーに分類されるだろう。ついでに缶の味噌汁も買った。コンビニを出た僕はおばさんの足元に缶の味噌汁を置いた。さようならおばさん。ふと空を見るとうっすらと空が白くなっていた。今日も一日が始まる。