洗体戦隊

クソ大学生の日々の日記

隣の隣

今日気が付いた。大のお気に入りだったAV女優ではもう興奮できない自分に。気が付いてしまった。ペ〇スもDVDも擦り切れる程見たのに。なぜなんだろう。自分でもよくわからない。

 

 

そのAV女優は愛らしい顔と引き締まった体躯、それに反比例するかのようにたわわに実った乳房と三拍子揃っていて俺の理想を忠実に体現していた。初めてそのAV女優を見たときはこの世にまだこんな天使がいたのかと思うくらいだった。多いときはそのAV女優で一日五回はマスターベーションした。早いときは10秒足らずにで発射した。

 

 

このAV女優と枕を交わすことができるならばいくらでも払える、この身が破産しても良いと思えるくらいだった。金を集めるためなら時代遅れの銀行強盗だってする勢いだった。だのにそのAV女優で興奮できなくなるなんて。

 

 

 

はじめは自分の男性機能が弱まっているのかと思った。ためしに違うAV女優を見たらみるみるうちに下腹部に血が集まり、ペ〇スは鉄鉱石のように固くなった。どうやら男性機能自体は健全らしい。

 

 

 

もしかすると俺は自分でも気が付かないうちにそのAV女優に飽きてしまったのだろうか。贅の限りを尽くした高級フルコースも毎食続けて食べると飽き飽きしてくるということだろうか。いや俺にとってあのAV女優は高級フルコースではない。

 

 

 

生涯の伴侶なのだ。自分の愛する妻を毎日抱いているから飽きたという男もいるが、俺はそんな風にならない。深層心理ではもう既に飽きているのかもしれない。だからそのAV女優も見ても全くの少しに勃〇しないのかもしれない。

 

 

 

けれど俺は全力で抗う。セックスにマンネリ気味の夫婦だってあらゆる手を使ってそれを打破してきたんだ。それが愛ってもんだろう。だから俺はいつもの右手ではなく左手でピストン運動することにした。

 

 

 

お気に入りのAV女優を見ながら左手でピストン運動すると不思議と新鮮な気持ちになった。自分の左手のはずなのに全くの他人にしごいてもらっているかのような感覚になってくるのだ。まるでそのAV女優にしごいてもらっているように思えてくる。

 

 

 

目を閉じれば克明にその景色が見えてくる。そのAV女優が俺の横におり、ペ〇スをその白くか細い指で一心にしごくのだ。その情景は実に観念的に思われたが俺の頭の中で起こっていることである種の現実でもある。

 

 

 

想像と現実には実は分水嶺というものはない。本人が無自覚に設定しているだけだ。現実だと思えばそれは現実なのだ。こうして俺は左手を使うという技術を駆使してそのAV女優で発射することができた。

 

 

 

どんなことにも最適な解はある。それを諦めずに探し続けることができるかどうかだ。俺の場合は今回は左手でピストンするということだっただけだ。皆さんもたまには左手でピストンして欲しい。俺が望むのはそれだけだ。