カフェにはまった男。カフェ大好きなんです!
22時半頃のとあるカフェの閑散とした雰囲気が大好きです。
夜と深夜のちょうど境目の時間帯。
実に中途半端な曖昧模糊とした時間帯。
しかし僕のような半端者にはとても居心地の良い時間帯でもあります。
煙草の紫煙をくゆらせる者。
友人との雑談に華を咲かせる者。
何らかの勉強に励む者。
同じ狭いカフェという空間にいるのに、互いに一切の興味も関心もなく干渉もしないというのはまさに都会の人間関係の縮図と言えるのはないでしょうか。
今日はそんな僕が愛する空間、カフェでの思い出深いお話にごゆるりとお付き合い頂けたら幸いです。
大学入学当時、僕は上京して生まれて初めてカフェという空間に足を踏み入れ、すっかり魅了されていました。
事あるごとに近所のカフェに入り浸り勉強やら読書やらその都度何かをしていました。
大学生というのは比較的時間の融通が利く人種であるので、朝一番からその近所のカフェに入ることも珍しくありませんでした。
週に3日くらいは朝からカフェに行き作業をするようになりました。
するとあることに気が付いたのです。
必ず僕よりも先に一人のおばあちゃんがすでにいるのです。
カフェの奥まった死角となる席におばあちゃんがすでにいるのです。
いつ来ても必ずその席でただうつむき、何もせず、そこにいることだけに全力をそそいでいるのです。
そのおばあちゃんの素性、目的はもちろんわかりません。
いつからそこにいるのか、何年、あるいは何十年とそこにいるのかもしれません。
おばあちゃんに対する湧き出る興味を抑えきれなくなった僕はある日、思い切って話しかけてみました。
するとおばあちゃんは最初は鳩が豆鉄砲を食らったような顔で出し抜けに口をパクパクさせていましたが、話しかけられたことが嬉しかったらしく様々なことを語ってくれました。
近所に住んでいること。
姑が気に入らないこと。
どこにも行くところがないから毎日ここで時間をつぶしていること。
案外ただのおばあちゃんで僕は安心するとともに拍子抜けもしました。
心の奥底では何かを期待していたのかもしれません。
しかしその日を境にトンとそのカフェに姿を現さなくなってしまいました。
何か事故に巻き込まれたのか、はたまた姑と仲良くなり家でまったりしているのか。
もしかするとすでに死んでしまったおばあちゃんの幽霊が誰かにかまって欲しくて毎日カフェに現れていたのかもしれません。
そして僕に話しかけられたことで満足して無事成仏できたのかもしれません。
全ては僕の憶測でしかありません。
こんなこと言うのは変かもしれないけど、おばあちゃんどうぞお元気で。
以上が僕のとあるカフェでの思い出深いお話です。
ていうかただの世にも奇妙?
まあ、これ実話だし。
もしかすると、そのおばあちゃんは明日はあなたの街のカフェに現れるかもしれませんよ?